食材から辿る / 在来
醤油(日本) 素材 時期 C検証済
醤油(日本)が、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。
日本の醤油=小麦と大豆を麹にし食塩水で諸味を仕込んで搾る液体調味料。前身は古代の醤(ひしお。7世紀以降の木簡、養老令757年の大膳職・主醤)と、室町期に味噌を水で煮て袋から垂らした たれみそ(15世紀前半には東寺の記録に専用の味噌垂袋が現れる)。醤油そのものを目的に醸す一次加工品としての成立は16世紀で、下限は天文5年(1536)『鹿苑日録』6月28日条の「漿油ヲ子サス」=京都相国寺塔頭鹿苑院での仕込み記録、永禄2年(1559)『言継卿記』の「シヤウユウ 小桶壹、遣之」=贈答、永禄11年(1568)『多聞院日記』10月25日条が「醤油」の字の初見。上限は慶長2年(1597)『易林本節用集』が「醤油(シヤウユ)」を辞書に採録=名実ともに普及した時点で、慶長8年(1603)『日葡辞書』は醤油(小麦と豆から製する液体)と溜り(味噌から取る液体)を別物として定義する。文献初出は存在の上限であって発明年ではなく、成立には幅がある。関東の濃口醤油などの様式は、この基層から江戸期に分化した
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 原料の大豆・小麦・塩はいずれも日本で在来かつ潤沢(大豆は縄文期以来の在来作物、小麦は弥生期以降の在来穀物、塩は製塩による在地供給)。したがって外来食材による律速はなく、律速は入手の経路=加工、すなわち醤油そのものを得ることを目的に醸す製法が国内で確立した時期である。国内成立の年代窓は1536年(『鹿苑日録』の仕込み記録)〜1597年(『易林本節用集』が醤油を採録)
- 調理技術ゲート
- 煮た大豆と炒って挽いた麦を混ぜて麹をつくり、食塩水を加えて諸味を仕込み、熟成後に液を搾り採る。味噌に水を加えて煮詰め布袋から垂らす二次加工品の たれみそ(15世紀前半の東寺の記録に専用の味噌垂袋が現れる)と違い、醤油は初めから液体調味料を得る目的で仕込む一次加工品であることが技術上の分岐点。『多聞院日記』天文19年(1550)6月12日条の唐味噌は大豆一斗三升・小麦一斗三升・塩一斗三升・水三斗三升=大豆と麦と塩をほぼ等量に仕込むもので、製麹が6月中旬〜下旬、仕込みはその約1週間後、製成が8月中旬の約60日を要し、江戸期の醤油醸造とほぼ同じ原料比を示す。慶長8年(1603)『日葡辞書』は醤油を小麦と豆から製する液体、溜りを味噌から取る液体と定義し、両者を別の製品として区別している
- 場ゲート
- 担い手は禅院と公家社会。京都相国寺塔頭の鹿苑院(『鹿苑日録』天文5年=1536の仕込み記録)と奈良興福寺塔頭の多聞院(『多聞院日記』の唐味噌および永禄11年=1568の醤油)が自家醸造し、桶や徳利に入れて贈答した(永禄2年=1559『言継卿記』の小桶一つを遣わす記事)。寺院の自家醸造と贈答の圏内で先に成立し、室町後期以降に堺・湯浅・龍野など近畿に産地が形成されて商品としての醸造が始まり、江戸期に商業醸造と全国流通へ広がる
各地への伝来 2
各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。
- 1536〜1597頃 日本 技術発明加工
- 1868〜1905頃 ハワイ 日本開国
醤油(日本)の到来が成立を縛った料理 2
醤油(日本)が届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。
醤油(日本)を使う料理 14
- 刺身 日本1399年ごろ
- 焼き鳥 日本1643年ごろ
- 茶碗蒸し 日本1689年ごろ
- 長崎角煮(卓袱料理) 日本・長崎1689年ごろ
- すき焼き 日本1872年ごろ
- 肉じゃが 日本1880年ごろ
- 牛丼 日本1890年ごろ
- 焼肉 日本1945年ごろ
- フリフリチキン ハワイ1955年ごろ
- 海鮮丼 日本1956年ごろ
- 横浜家系ラーメン 日本1974年ごろ
- ちゃん系ラーメン 日本2020年ごろ
成立年不明 2
成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。