コンビーフとザワークラウト、スイスチーズをライ麦パンに挟んで焼くルーベンサンドイッチは、ネブラスカ州オマハとニューヨークが発祥を名乗り合う。名は一九三〇年代半ばのネブラスカのホテルのメニューに載っていたと伝えられ、中身を書きとめた早い記録は一九四一年にニューヨーク在住の著者が出した料理本にあるが、最初の一枚を焼いた人はどちらの土地でも決まっていない。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- 今の形(コンビーフ・ザワークラウト・スイスチーズをライ麦パンに挟んで焼く)に直結する説。1920年代、オマハの食料品商 Reuben Kulak…
- 判定
- 諸説あり(対立説を併記)
- 主な根拠
- 支持Jim Rader (Merriam-Webster)「The Reuben Sandwich」(Kitchen Project 掲載)重み3 支持Who Really Invented the Reuben? (Saveur)重み2
3ゲート
- 食材入手ゲート
- ライ麦・キャベツ(ザワークラウト)・牛肉(コンビーフ)はいずれも旧大陸由来で在米。律速は特になし
- 調理技術ゲート
- グリル/プレスのホットサンド技術
- 場ゲート
- デリカテッセン/ホテル(発祥は諸説)
成立年代と成立ゲート
主役食材の到来データが未登録(不明)のため、到来による下限(縦線)は表示していない。帯は成立年代を示す。
検証メモ: この料理には考案者をめぐる論争がある(オマハ説とニューヨーク説)。1925年ごろのオマハ考案説と、ニューヨークのルーベンズ・デリ考案説について、それぞれが文献に最初に現れる年のさらなる確認が課題として残る。
起源説
諸説併記
オマハ(ブラックストーンホテル)考案説 C
今の形(コンビーフ・ザワークラウト・スイスチーズをライ麦パンに挟んで焼く)に直結する説。1920年代、オマハの食料品商 Reuben Kulakofsky がブラックストーンホテルのポーカーの集まりで所望し、シメル家がこしらえたとされる。この話を語ったのはブラ…続きを読む
今の形(コンビーフ・ザワークラウト・スイスチーズをライ麦パンに挟んで焼く)に直結する説。1920年代、オマハの食料品商 Reuben Kulakofsky がブラックストーンホテルのポーカーの集まりで所望し、シメル家がこしらえたとされる。この話を語ったのはブラックストーンの支配人 Ed Schimmel で、ポーカーに加わっていた父 Charles から聞いた話として1965年と1968年に語った。語源編集者 Jim Rader(Merriam-Webster)は、その場にいた人が自分で語った記録は無いと書く。2016年に Saveur に書いた筆者 Elizabeth Weil(シメル家の言い伝えでこのサンドを作ったとされる、ブラックストーンの厨房を任されていた Bernard Schimmel の孫)も、家の言い伝えとして書いている。クラコフスキー家は、Bernard はポーカーの卓に総菜の盛り合わせを届けただけで、サンドはルーベン本人が作ったと主張している(同じ Saveur の記事による)。名の記録として、Saveur の記事は、ネブラスカ州歴史協会とダグラス郡歴史協会がブラックストーンの1934年(本館の食堂)と1937年(コーヒーショップ)のメニューにルーベンを見つけたと報じる(引くのは値段で、中身は書いていない)。Rader は、リンカーンの Cornhusker Hotel のコーヒーショップの1937年10月9日付のメニューにこのサンドがあったと新聞コラムの読者が出したことを、少なくとも報じられた最初の記録として挙げるが、写しは届かず、中身も書いていない。Rader が手元に持つ最も早い記録は、1943〜46年ごろのブラックストーン内の店 Plush Horse のメニュー(綴りは Rueben)。Cornhusker のメニューの「corned beef, Sauer Kraut, Swiss cheese on Russian Rye」は Merriam-Webster の用例ファイルにある文言で、その用例カードの日付は1956年1月19日。1956年にはブラックストーンの元ウェイトレス Fern Snider がこのサンドで全米サンドイッチコンテストに優勝した。ネブラスカ州歴史協会もオマハ起源を支持する。ただし中身を日付つきで書いた記録としていま知られる最も早いものは、Saveur が食物史家 Andrew Smith の根拠として伝える1941年の料理本(著者はニューヨーク在住)で、オマハの記録ではない。クラコフスキーの夜の話はすべて伝聞で、名が文献に現れることと考案者の特定は別。
ニューヨーク(Arnold Reuben/Reuben's Deli)考案説 C
ニューヨークのルーベンズ・デリカテッセンの店主アーノルド・ルーベン(Arnold Reuben)の店で生まれたとする説。語られる話は二つある。一つは1914年ごろ、チャップリン映画の主演女優のためにアーノルドが作ったという『Reuben's Special』で…続きを読む
ニューヨークのルーベンズ・デリカテッセンの店主アーノルド・ルーベン(Arnold Reuben)の店で生まれたとする説。語られる話は二つある。一つは1914年ごろ、チャップリン映画の主演女優のためにアーノルドが作ったという『Reuben's Special』で、ライ麦パンにヴァージニアハム・七面鳥・スイスチーズ・コールスロー・ロシアンドレッシングを挟んだもの。語源編集者 Jim Rader(Merriam-Webster)は、これは肉・キャベツ・チーズを使う点は似ていても今のルーベンではなく、ネブラスカのサンドとは名前が偶然一致しているだけだと書き、メニューに基づけばネブラスカ起源に傾くとした。もう一つは1930年代、店の料理人 Alfred Scheuing がアーノルドの息子のために、コンビーフ・スイスチーズ・ザワークラウトを、バターを塗って焼いたパンパーニッケルに挟んだという話で、1993年の新聞に載った息子本人の回想として伝えられる(Rader はこれを、本当か、ひどい記憶違いかのどちらかと評する)。この話を同じ時代のメニューで確かめた記録は、まだ見つかっていない。食物史家 Andrew Smith は、Elizabeth Weil(シメル家の言い伝えでこのサンドを作ったとされる Bernard Schimmel の孫)が New York Times Magazine に書いた文章への投書で、1941年の料理本などを根拠にニューヨーク起源を主張したが、オマハ側の古いメニューを示されると、それが『ルーベン・サンドイッチ』という名の最も早い記録だと認めた(Weil が2016年に Saveur に書いた記事による。投書はその記事の数年前のこと)。退けられたのは1914年ごろの Reuben's Special を今の形の祖型とする話だけで、ニューヨーク説の全体は決着していない。
解説
ルーベンサンドイッチは、塩漬けにした牛肉のコンビーフ、発酵させたキャベツのザワークラウト、スイスチーズを、ライ麦パンではさんで鉄板で押し焼きにした温かいサンドイッチである。表面をこんがり焼くうちにチーズが溶け、ザワークラウトの酸味とコンビーフの塩気が一枚のなかでまとまる。
ライ麦パンも、塩漬けの牛肉も、発酵キャベツも、旧大陸からもたらされてアメリカに根づいた食材で、デリカテッセンやホテルの厨房では日々の仕込みで扱う品だった。
それらを冷たいまま挟むのではなく、ライ麦パンの間に重ねて鉄板で押さえながら焼くところに、この一皿の形がある。こうした温かいサンドを注文ごとに焼いて出していたのが、移民の食文化が行き交う都市のデリカテッセンやホテルのレストランだった。
生まれた時期については、考案の話が一九二〇年代のオマハと一九三〇年代のニューヨークに分かれて伝わる。ルーベンの名は一九三〇年代半ばのネブラスカのホテルのメニューに載っていたと伝えられ、一九四一年の料理本には、いまと同じ顔ぶれの具を挟んだルーベンが書きとめられている。
検証ストーリー
オマハで語られてきた話では、一九二〇年代、食料品商のルーベン・クラコフスキーがブラックストーンホテルで開かれていたポーカーの集まりでこのサンドを所望し、シメル家の手でこしらえられたという。この話を語ったのは、ブラックストーンの支配人エド・シメルである。エドはポーカーの卓に加わっていた父チャールズから聞いた話として、一九六五年に、また一九六八年にはシカゴのラジオ番組で、この夜のことを語った。エド自身はその卓にはおらず、その場にいた人が自分で語った話は残っていない。二〇一六年に、考案者とされるシメル家の人物の孫が雑誌に寄せた文章も、一家の言い伝えとしてこの夜を書いている。
ルーベンの名は、一九三〇年代のネブラスカのメニューに現れる。ブラックストーンでは、一九三四年の本館の食堂のメニューに四十セント、一九三七年のコーヒーショップのメニューに三十五セント(鶏肉入りは五十セント)で載っていたと伝えられるが、何が挟まれていたかは伝わっていない。同じ一九三七年の十月九日付で、州都リンカーンのコーンハスカーホテルのコーヒーショップのメニューにもこのサンドがあったと、新聞のコラムの読者が持ち出したことも報じられた。こちらも中身は伝わっていない。一九四三年から四六年ごろには、ブラックストーンの中の店「プラッシュホース」のメニューに、Rueben と綴られて六十セントで載っている。一九五六年、ブラックストーンの元ウェイトレス、ファーン・スナイダーはこのサンドで全米サンドイッチコンテストに優勝した。同じ年の一月十九日の日付で、辞書出版社メリアム・ウェブスターの用例カードには、コーンハスカーホテルのメニューにあった「コンビーフ、ザワークラウト、スイスチーズをロシアンライ麦パンに」という一行が写しとられている。
ニューヨークの話は、マンハッタンのデリカテッセン「ルーベンズ」の店主アーノルド・ルーベンをめぐって二つ伝わる。一つは一九一四年ごろ、チャップリン映画の主演女優のためにアーノルドが作ったという「ルーベンズ・スペシャル」で、ライ麦パンにヴァージニアハム、七面鳥、スイスチーズ、コールスロー、ロシアンドレッシングを挟んだものだった。肉とキャベツとチーズを使う点は似ていても、コンビーフとザワークラウトのいまのルーベンとは中身が違う。メリアム・ウェブスターの語源編集者ジム・レイダーはこれを、ネブラスカのサンドと名前がたまたま重なっただけのものと見て、メニューに基づくかぎりネブラスカ起源に傾くと書いた。
もう一つは一九三〇年代の話である。ハンバーガーばかり食べているアーノルドの息子を見かねた店の料理人アルフレッド・ショイイングが、仕込んだばかりのコンビーフを、バターを塗って焼いたロシア風の黒いパンパーニッケルに重ね、スイスチーズとザワークラウトを足したと伝えられる。この話は、一九九三年の新聞「セントピーターズバーグ・タイムズ」に載った息子本人の回想として伝わるもので、レイダーは、本人がその場にいた話として語っている以上、本当か、ひどい記憶違いかのどちらかだと評している。
食物史家アンドルー・スミスは、ニューヨーク起源を唱えた。根拠の一つに挙げたのは一九四一年の大量調理向けの献立の本で、そこではルーベンが「ライ麦パン、スイスチーズ、コンビーフのスライス、ザワークラウト、ドレッシング」と書かれ、著者はニューヨークに住んでいた。いまのルーベンの中身が年のわかる形で書きとめられた早い例だが、著者の住まいがそのまま考案の地を示すわけではない。スミスはその後、オマハ側の古いメニューを示されると、それが「ルーベン・サンドイッチ」という名の最も早い記録だと認めた。この経緯を雑誌「セイヴァー」に書いたのは、先に触れたシメル家の孫である。
一九一四年ごろのルーベンズ・スペシャルは、いまのルーベンとは別のサンドだった。けれどもオマハのポーカーの夜は父から子へ伝わった話のまま、ニューヨークの厨房の話は息子の記憶のままで残っている。名は一九三〇年代のネブラスカのメニューに、中身は一九四一年の料理本に書きとめられているが、最初の一枚を誰がどこで焼いたのかは、二つの土地のどちらについても言い切れない。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-06-28 | 支持 | C→C |
オマハBlackstoneホテル(1920s, Kulakofsky/Schimmel)考案、1934/1937年メニュー現存 出典:
Reuben sandwich 重み1
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研磨係 |
| 2026-06-28 | 支持 | C→C |
NYC Arnold Reuben(20世紀初頭)考案、Andrew Smithが1941年料理本で支持
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研磨係 |
| 2026-06-29 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 現行形ルーベンの最古の文献初出は1937-10-09 Cornhusker Hotel(Lincoln NE)メニュー『corned beef, Sauer Kraut, Swiss cheese on Russian Rye』。語源編集者Jim Raderと Nebraska州歴史協会がOmaha起源を支持
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研磨係 |
| 2026-06-29 | 反証 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) NY(Arnold Reuben)考案説は現行形(コンビーフ+ザワークラウト)のメニュー文書を欠き、Arnoldの元祖サンドは別物。Smith自身がOmaha型とNY型を別物と認めた=NYは『同名の別サンド』
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
ルーベンサンドイッチはニューヨークのアーノルド・ルーベン(ルーベンズ・デリ)が考案したという説は、1914年の Reuben's Special が今の形と別物だったことで退けられるか
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
ニューヨーク説のうち、1914年ごろの Reuben's Special を今のルーベンの祖型とする話は退けられるが、ニューヨーク説の全体は退けられない
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
1930年代にルーベンズの料理人 Alfred Scheuing がアーノルドの息子のためにコンビーフ・スイスチーズ・ザワークラウトのサンドを作った、と伝えられる
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) ルーベンの名の記録は、Rader が手元に持つ1937年10月9日の Cornhusker Hotel のメニューより前に、ブラックストーンの1934年のメニューにもある、と報じられている
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
Rader が挙げる1937年10月9日の Cornhusker Hotel(リンカーン)コーヒーショップのメニューは、新聞コラムの読者が出したと報じられた記録で、Rader は写しを受け取っておらず、中身も書いていない。Rader が手元に持つ最も早い記録は1943〜46年ごろのブラックストーン内の店 Plush Horse のメニュー('Rueben' 60セント)。『corned beef, Sauer Kraut, Swiss cheese on Russian Rye』は Merriam-Webster の用例ファイルにある Hotel Cornhusker のメニューの文言で、その用例カードの日付は1956年1月19日
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
オマハのクラコフスキー譚を語ったのはブラックストーンの支配人 Ed Schimmel で、ポーカーに加わっていた父 Charles から聞いた話として1965年(McMorris へ)と1968年(シカゴのラジオ)に語った。その場にいた人が自分で語った記録は無い
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
ルーベンの名の記録は、ブラックストーンの1934年(本館の食堂)と1937年(コーヒーショップ)のメニューにある、と報じられている。引かれるのは値段で、何が挟まれていたかは書かれていない
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
中身を日付つきで書いた記録として、DB の出典の範囲で最も早いのは1941年の料理本 Menu Making for Professionals in Quantity Cookery で、ライ麦パン・スイスチーズ・コンビーフ・ザワークラウト・ドレッシングと書く(著者はニューヨーク在住)。Saveur が、Andrew Smith が根拠に挙げたと伝える。料理本そのものは開いていない
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
Saveur(2016年)の筆者 Elizabeth Weil の祖父は、シメル家の言い伝えでこのサンドを作ったとされる Bernard Schimmel で、クラコフスキー家は Bernard は盛り合わせを届けただけでルーベン本人が作ったと主張している
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研磨係 |
| 2026-10-08 | 不明 | C→C |
Andrew Smith の投書は2016年のものではなく、Weil が New York Times Magazine に書いた文章(2016年の Saveur の記事の数年前)への投書で、年は記事に書かれていない
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研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。
- 素材ライ麦パン成立史は準備中
- 素材スイスチーズ成立史は準備中