ものがたり / 伝播紀行

チーズパスタ六百年 ―― ナポリの宮廷写本からジェファーソンの食卓まで、発明者なきマカロニ&チーズの旅

伝播紀行 登場する料理 1品

マカロニアンドチーズはアメリカのコンフォートフードの代表格だが、「トマス・ジェファーソンが発明した」という有名な話は、当のジェファーソン財団自身が否定している。パスタとチーズを合わせる料理は、その三百年以上前、中世ナポリの料理写本にすでに書き留められていた。発明者のいない、六百年の伝播の物語。

物語の最初の一頁は、14世紀初めの南イタリア、ナポリにある。アンジュー家の宮廷圏で編まれたラテン語の料理写本『リベル・デ・コキーナ(Liber de coquina)』には、「デ・ラサニス(de lasanis)」という一品が載る。板状に延ばしたパスタを正方形に切って茹で、摺りおろしたチーズを層に重ねる——ベシャメルもトマトもない、素朴なチーズパスタである。写本の底本(パリ国立図書館 BnF lat.7131)は1304年から1314年ごろのものとされ、現存する「パスタとチーズを合わせるレシピ」としては最も古い層に属する。もっとも、料理そのものはさらに遡る。修道士サリンベーネ・デ・アダムの年代記『クロニカ(Cronica)』(1284年ごろ)には、チーズをかけたラザーニャ(lasagna con formaggio)を貪り食う修道士の逸話が記されており、料理としては13世紀の文献にすでに姿を見せている。

この料理形は、宮廷の料理写本が国境を越えて流通するなかで、イングランドへ渡る。1390年、リチャード2世の料理人たちが編んだ英王室の料理書『フォーム・オブ・キュリー(The Forme of Cury)』に「マケロウンス(makerouns)」が現れる。薄く延ばした生地を切って茹で、摺りおろしチーズとバターを上下に重ねる——ナポリのデ・ラサニスとよく似た層仕立てだ。名前は「マカロニ」を思わせるが、ここで少し注意がいる。管状の乾麺としてのマカロニはまだ発明されておらず(それは15世紀を待つ)、中世の makerouns の実体は切った生地のパスタだった。名前と中身がずれているのである。

18世紀後半のイングランドでは、マカロニにチーズを合わせる一品が家政書に載る。エリザベス・ラファルドの『経験豊かなイングランドの家政婦(The Experienced English Housekeeper)』(1769年)は、茹でたマカロニを鍋に移し、クリームと、小麦粉をまぶしたバターを加えて五分ほど煮て、皿に盛ってから上一面にパルメザンをのせ、焼き色を付けるよう記している。オーブンには入れず、チーズもソースに溶かさずに上にのせる料理だった。アメリカのマカロニアンドチーズを、こうした英国のチーズパスタの流れを汲むものとみる説がある一方、独立した一皿として形を整えたのはアメリカの食卓だとみる説もあり、起源をどちらに置くかは定まっていない。

そして料理は大西洋を渡る。トマス・ジェファーソンはフランス滞在中に、パスタとチーズを焼く料理に関心を持ち、彼のもとで料理を仕込まれた奴隷ジェームズ・ヘミングスがその作り方をアメリカへ持ち帰った。1802年2月6日、大統領官邸の晩餐に同席したマナセ・カトラーは、日記に「マカロニという名のパイ」を書きとめている。カトラーの目には、厚い皮に玉ねぎかエシャロットの細切りを詰めたものに見えた。ところが同席していたルイスという人物が、その場で「玉ねぎは入っていない。これはイタリア料理で、玉ねぎに見えたのは小麦粉とバターでできたものだ」と答えている。日記はチーズに触れておらず、このパイがいまのチーズの一皿と同じものかは確かめられない。アメリカで最初に出版されたこの料理のレシピは、メアリー・ランドルフが1824年に出した『ヴァージニアの主婦(The Virginia House-Wife)』に載る。1830年の版に載る作り方は、牛乳と水で茹でたマカロニを皿に敷き、チーズとバターを重ねて強火のオーブンで焼くというもので、皿に重ねるのはマカロニとチーズとバターの三つだけだった。マカロニもチーズも、18世紀の植民地交易を通じてアメリカに運ばれ、いつでも手に入るものになっていた。この一皿がアメリカで独立した料理として根を下ろし、南部の家庭料理からやがて国民的なコンフォートフードへと育っていく——マカロニアンドチーズが「アメリカの料理」になったのは、この定着の段にある。

この六百年の旅には、二つの根強い作り話がまとわりついている。

ひとつは、「マカロニアンドチーズはトマス・ジェファーソンが発明した(あるいはアメリカに初めて持ち込んだ)」という説だ。だが、ジェファーソンの邸宅モンティチェロを運営するジェファーソン財団自身が、これを明確に否定している。パスタとチーズを焼く料理は、ジェファーソンが渡仏した1784年より前からフランスで広く食べられており、ヘミングスはパリでの修業中にその作り方を覚えたにすぎない。彼が担ったのは「発明」ではなく、アメリカでの調理と普及だった、というのが史実である。ジェファーソン自筆のマカロニのレシピ(年代の記されていない手稿で、アメリカ議会図書館蔵)も現存するが、これも奴隷として仕えた料理人の誰かの口述を書き取った可能性が高く(財団はヘミングスらをその例に挙げる)、発明の物証にはならない。

もうひとつは、イングランド側の作り話である。英語で最初に書き留められたマカロニチーズのレシピはハンナ・グラースの『料理の技法(The Art of Cookery Made Plain and Easy)』(1747年)で、ラファルド(1769年)より二十年ほど早い——という説がしばしば流布する。しかしグラースの1747年の版が載せるのは「ヴァーミセラ(Vermicella)」、すなわち細麺パスタを自家製にするレシピであって、チーズを合わせたマカロニ料理ではない。ケンブリッジのフィッツウィリアム美術館の食物史プロジェクトもそう読んでおり、食物史家ニール・バタリーらが英語の料理書に現れるマカロニとチーズの一品として最初に挙げるのは、やはりラファルドの1769年である。

では、この一族のいちばん古い一頁はどれなのか。実のところ、そこはまだ決着していない。ナポリのデ・ラサニス(14世紀初頭)はイングランドのマケロウンス(1390年)より八十年ほど早いが、中世の lasanis は板状のパスタで、管状のマカロニとは別系統だという見方もある。どちらを「最古のマカロニ&チーズ」と呼ぶかは、写本の年代に幅があることもあって、いまも諸説あるまま並んでいる。確かなのは、この料理に単独の発明者はいないということだ。ナポリの宮廷写本からジェファーソンの食卓まで、幾人もの手を経て少しずつ姿を変えてきた——その連なりそのものが、マカロニアンドチーズの正体なのである。

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