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寒天以前の蒸羊羹 時期 C起源説 B検証済

確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→

日本 ・ 成立年は未確定。日本で羊羹の名が文献に見える最も早い例は『庭訓往来』の最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本で、点心の品として『羊羹』『笋羊羹』が並ぶ(『砂糖羊羹』の形が見えるのは文明4年(1472)写本など15世紀後半以降の写本から)。ただしこれは品名だけで、この頃の羊羹は汁をかけて食べる精進の見立て料理だったとみられ(並松信久2021)、蒸し固めた菓子だったことは示さない。菓子としての羊羹は『松屋会記』天文11年(1542)の茶会の記事に見え、『日葡辞書』(1603)は砂糖羊羹を豆と砂糖で作る甘い板菓子とする。成立の上限はこの板菓子の語釈の1603年に置く。蒸し固める製法そのものを明記する史料は『和漢三才図会』(1712)まで下る。『守貞漫稿』は蒸して作る『羊羹ノ古製』を『今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』と同定するが、その『古ノ砂糖羊羹』がいつまでさかのぼるかは書かない。下限は不明。寒天を使う煉羊羹が現れるのは18世紀後期(『太梁公日記』1773年・『逾好日記』1787年の「ねりやうかん」〔いずれも並松2021の引用による〕、『嬉遊笑覧』の寛政年間・紅粉屋志津磨説)で、それ以後も蒸羊羹は値の違う別商品として併存した ・ 成立年代 〜1603 ・ 主役食材 小豆

記章(DB由来の作図・装飾/監修・認証ではない)|起源説確度B・検証済B記章(DB由来の作図・装飾)

これは羊羹の前史(古層)です。現行型を成立させた律速食材「寒天」を欠く時代の祖型で、現行型とは別の時計で測ります。

現行型「羊羹」を見る →

3ゲート

食材入手ゲート
小豆・小麦粉・葛はいずれも在来。砂糖は外来だが、日本への到来は825年(交易路)とされ、菓子としての羊羹が史料に現れる16世紀(『松屋会記』1542年の茶会の記事)よりはるかに早い=禅寺・茶席という上層の場ではすでに使えた。寒天は要らない。よって律速食材は無い。寒天が律速になるのは、それを使って煮詰め練り固める子(煉羊羹=現行の羊羹)の側である
調理技術ゲート
小豆の漉し餡に小麦粉や葛を混ぜ、蒸籠で蒸して固める。『和漢三才図会』(1712)は『煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸』とし、黒い色を出すには玉砂糖を用いるか鍋底の炭を入れると書く。『菓子話船橋』(1841)は赤小豆一升・唐雪白砂糖八百目・小麦御膳粉七十目・久助葛廿匁の割で、砂糖を煮詰めて小豆の漉し粉を練り合わせ、小麦粉と葛を混ぜて蒸籠で一時ほど蒸すとする。特別な設備も外来の材料も要らない
場ゲート
禅宗の点心として入り、室町期には茶席の菓子となった。『庭訓往来』(14世紀後半)は点心の品目として挙げ、『松屋会記』天文11年(1542)は茶席の菓子とする。近世には菓子屋の商品となり、『守貞漫稿』は三都で煉羊羹一棹 銀二匁に対し蒸羊羹一棹 銀一匁と、値の安い方の商品として売られていたことを記す

成立年代と食材入手ゲート

食材入手(825年・在地/到来)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。

成立年代と成立ゲート成立 〜1603食材入手・律速 825(在地/到来/砂糖)6691681
  • 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
  • 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
  • 細線=既に充足
  • 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)

検証メモ: 寒天を使う煉羊羹より前の、菓子としての羊羹の姿をまとめた行。『古事類苑』飲食部(NDL全文)の羊羹の条から、寒天以前の製法を書く3史料(和漢三才図会1712・守貞漫稿・菓子話船橋1841)の逐語を得た=要件は小豆・砂糖・小麦粉/葛と蒸籠で、寒天を要さない。守貞漫稿は古い製法を『今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』と同定し、煉羊羹(乾天を用いる)と値段まで別立てにする。成立を縛る条件は特に無い(砂糖の日本への到来825年は、菓子としての羊羹が史料に現れる16世紀よりはるかに早い)。2026年10月の検証: 『庭訓往来』の『砂糖羊羹』は、最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本では『砂糖羹』で、14世紀の本文にあったとまでは言えない(写本の異同は萩原義雄の翻字による。至徳3年写本の原本・影印は見ていない)。14世紀の羊羹について分かるのは点心の品名だけで、蒸し固めた菓子だったことは示されない。『日葡辞書』の語釈は並松2021の引く邦訳とパジェスの仏訳(1862-68)で確かめたが、1603年の原本は見ていない

起源説

定説

★主 菓子としての羊羹は、寒天を使う煉羊羹が現れるまで、小豆餡に小麦粉・葛を加えて蒸し固めた『蒸羊羹』だった B

寒天を使う煉羊羹が18世紀後期に現れるまで、菓子としての羊羹は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加え、蒸籠で蒸して固めたものだった。製法を書いた史料が3つの時代にわたって一致する。(1)『和漢三才図会』(1712)は『羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁…続きを読む

寒天を使う煉羊羹が18世紀後期に現れるまで、菓子としての羊羹は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加え、蒸籠で蒸して固めたものだった。製法を書いた史料が3つの時代にわたって一致する。(1)『和漢三才図会』(1712)は『羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸』=赤小豆を煮て皮を去り水を絞り、粉を麪粉と合わせ、砂糖の煎じ汁で湿らせて蒸す、と記し、黒い色を出すには玉砂糖を使うか鍋底の炭を入れるとし、竹の皮に包むとする。(2)『守貞漫稿』は『羊羹ノ古製 小豆一升 砂糖准之 小麦粉五勺 鍋墨少々加ヘユルク煉リ合セ、蒸籠ニ掛ケ、サマシテ後ニ細長ク四角ニ切ル 色黒シ』とし、続けて『古製ハ此ゴトク甚粗製也、今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』=古い製法は粗いもので、いまの蒸羊羹の類であり、昔の『砂糖羊羹』がこれである、と古い羊羹と現行の蒸羊羹を同定する。(3)『菓子話船橋』(1841)は『蒸羊羹 赤小豆一升 唐雪白砂糖八百目 小麦御膳粉七十目 久助葛廿匁』と分量を挙げ、砂糖を煮詰めて小豆の漉し粉を練り合わせ、小麦粉と葛を混ぜて蒸籠で一時ほど蒸すと書く。すなわちこの形の要件は、小豆・砂糖・小麦粉/葛と蒸籠であって、寒天はいっさい要らない。並松信久(2021)も『煉羊羹以前の羊羹が蒸羊羹であった』とし、煉羊羹は『点心の系統である蒸羊羹とは異なっていた』とする。この形がいつ始まったかは決まらない。14世紀後半の『庭訓往来』(最古の年紀をもつ至徳3年=1386年の写本)に見えるのは、点心の品としての『羊羹』『笋羊羹』の名だけで、材料も作り方も書かれていない。並松は、日本に入った羊羹を、肉を使わない精進の見立て料理として汁をかけて食べたものとし、菓子になったのは戦国期から江戸初期とみる。茶席の菓子としては『松屋会記』天文11年(1542)の茶会の記事に『ヤウカン』が見え、『日葡辞書』(1603)は砂糖羊羹を豆と砂糖で作る甘い板菓子とする(並松はこの板菓子を蒸羊羹の平らな形とみる)。蒸すことを明記する史料は『和漢三才図会』(1712)からである。煉羊羹が現れたのちもこの形は併存した(『守貞漫稿』は煉羊羹一棹 銀二匁に対し蒸羊羹一棹 銀一匁と、値の違う別の商品として並べる)

諸説併記

『羊羹』と『砂糖羊羹』の書き分けの解釈(『庭訓往来』の15世紀後半以降の写本と『日葡辞書』) C

『庭訓往来』十月状の点心の列は、写本によって品目が違う。最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本は『羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹』と書き、『砂糖羊羹』の形は無い。『羊羹』と『砂糖羊羹』を別々の品目として並べるのは、文明4年(1472)写本や山田俊雄蔵本、古版の『…続きを読む

『庭訓往来』十月状の点心の列は、写本によって品目が違う。最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本は『羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹』と書き、『砂糖羊羹』の形は無い。『羊羹』と『砂糖羊羹』を別々の品目として並べるのは、文明4年(1472)写本や山田俊雄蔵本、古版の『庭訓徃来註』、江戸期の写本・注釈書である(三次市立図書館蔵の江戸前期写本もこの形)。したがってこの書き分けは15世紀後半以降の本文の姿で、14世紀にさかのぼるとは言えない。この書き分けをどう読むかで、古い羊羹の姿が変わる。(1)砂糖の有無の別とみる読み。『嬉遊笑覧』(1830)は『〔庭訓〕に羊羹と沙糖羊羹と二種出たり、唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり』とし、『守貞漫稿』は小豆・砂糖・小麦粉を練って蒸した古い製法の羊羹を『古ノ砂糖羊羹也』とする。この読みでは、砂糖を入れない『羊羹』は別の品だったことになる。(2)甘味の種類の違いとみる読み。『日葡辞書』(1603)は羊羹を『豆に粗糖をまぜ、こねたもので作った食物』、砂糖羊羹を『豆と砂糖とで作る。甘い板菓子(羊羹)の一種』とする(パジェスの仏訳でも、羊羹は豆の練り物と糖蜜で作った食べ物、砂糖羊羹は豆と砂糖で作る菓子の切り身)。並松信久(2021)はこれを、砂糖を使うか粗糖(黒砂糖)を使うかの違いと読む。この読みでは1603年の羊羹にも甘味が入っていて、(1)の『羊羹には砂糖が入らない』という江戸後期の解釈とは合わない。ただし『日葡辞書』が示すのは17世紀初めの姿で、15世紀後半の写本がなぜ書き分けたのかまでは言えない。決着していない。留保: 写本の異同は萩原義雄の翻字(研究者個人のウェブページ)によるもので、至徳3年写本の原本・影印は見ていない。『日葡辞書』は1603年の原本を見ておらず、並松2021が引く邦訳とパジェスの仏訳(1862-68)で確かめた。江戸期の注釈書『庭訓徃來精注鈔』自身も、これらの品は『製方詳ならず』とし、名が同じでも古今で形が異なることがあろうと書く

検証ログ 追記専用の監査証跡

日付結果確度主張 / 出典更新者
2026-08-15 None —→— — 追加係
2026-08-20 支持 —→B

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

寒天以前の羊羹は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加えて蒸籠で蒸し固めた菓子である
研磨係
2026-08-20 支持 B→B
近世の史料は、蒸して作る古い羊羹と寒天を用いる煉羊羹を、製法も値段も違う別の商品として区別している
研磨係
2026-08-20 不明 —→C

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

『庭訓往来』が『羊羹』と『砂糖羊羹』を別立てにしている理由は決まらない
研磨係
2026-08-24 支持 B→B

🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ)

『庭訓往来』と同系の点心の羹は、小豆のこし粉・小麦粉・砂糖を煉り合わせて蒸し固める製法だった。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ253は伊勢貞丈(安斎)の説として「鼈羹ハ摺立の山の芋一升に砂糖一斤、赤小豆のこし粉一升、小麦の粉五勺、煉合せ蒸て龜甲の形に切なり」と記す
研磨係
2026-08-24 支持 C→C
『庭訓往来』が「羊羹」と「沙糖羊羹」を別立てにするのは砂糖の有無の別である、という読み(守貞漫稿と同じ側)を、『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ252も採る=「〔庭訓〕に羊羹と沙糖羊羹と二種出たり、唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり」
研磨係
2026-08-24 支持 B→B
寒天を用いる煉羊羹が現れるのは18世紀末であり、それ以前の羊羹は煉羊羹ではない。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ263は「茶の湯の口取に煉羊羹うばたまなどハ紅粉や志津磨始て製す、寛政の頃よりなり」と、煉羊羹の初製を寛政年間(1789-1801)に置く
研磨係
2026-09-06 支持 B→B
寒天以前の蒸羊羹の製法根拠となる古事類苑の逐語は、飲食部四 コマ77-78の羊羹の条に在る
研磨係
2026-10-02 反証 C→C
『庭訓往来』が『羊羹』と『砂糖羊羹』を別々の品目として並べるのは15世紀後半以降の写本の形で、14世紀の本文にあったとは言えない。最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本は該当の位置を「砂糖羹」と書き、「砂糖羊羹」の形は文明4年(1472)写本・山田俊雄蔵本・古版『庭訓徃来註』・江戸期の注釈書に見える。経覚筆本は単独の「羊羹」も「砂糖羊羹」も欠き、建部伝内本は「笋羊羹」の次を「砂糖」「饅頭」と続ける。「羊羹」「笋羊羹」は至徳3年写本にもある
研磨係
2026-10-02 支持 C→C
『日葡辞書』(1603)は羊羹を食べ物、砂糖羊羹を菓子と書き分け、羊羹にも甘味(糖蜜=粗糖)が入るとする。パジェスの仏訳 p.909 に「Yôcan. Mets fait de pâte de haricots et de mélasse.」(豆の練り物と糖蜜で作った食べ物)、p.700-702 の範囲に「Satô yôcan. Tranches d'un gâteau que l'on fait avec des haricots et du sucre.」(豆と砂糖で作る菓子の切り身)とある。『嬉遊笑覧』の「唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり」という読みは、1603年の羊羹については合わない
研磨係
2026-10-02 不明 C→C
15世紀後半以降の『庭訓往来』の写本と『日葡辞書』(1603)が『羊羹』と『砂糖羊羹』を書き分ける理由は決まらない。砂糖の有無の別とみる江戸後期の読み(嬉遊笑覧・守貞漫稿)と、砂糖か粗糖かの違いとみる読み(日葡辞書の語釈・並松2021)が並び、1603年の語釈は後者に合うが、15世紀後半の写本がなぜ書き分けたのかを示す史料は無い
研磨係
2026-10-02 支持 B→B
菓子としての羊羹は、寒天を使う煉羊羹が現れるまで、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加えて蒸籠で蒸し固めたものだった。ただしこの形が14世紀にさかのぼるとは言えない。14世紀後半の『庭訓往来』に見えるのは点心の品名だけで、並松2021は日本に入った羊羹を汁をかけて食べる精進の見立て料理とし、菓子化を戦国期・江戸初期に置く
研磨係
2026-10-02 支持 B→B
18世紀には、点心の羹の名を負った菓子が、小豆のこし粉・小麦粉・砂糖を煉り合わせて蒸す製法で作られていた。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食は伊勢貞丈(安斎)の説として鼈羹の製法をこう記す。これは18世紀の説明で、『庭訓往来』の頃の羹の作り方を示すものではない
研磨係
2026-10-02 支持 C→C
寒天以前の蒸羊羹が存在したことを示す最も早い史料は、砂糖羊羹を豆と砂糖で作る甘い板菓子とする『日葡辞書』(1603)で、成立の上限を1603年に置く。14世紀の『庭訓往来』は羊羹の名を示すだけで、蒸し固めた菓子だったことを示さない。1542年の『松屋会記』の茶会の記事は羊羹を茶席の菓子として出すが、形は書かない
研磨係

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