これは羊羹の前史(古層)です。現行型を成立させた律速食材「寒天」を欠く時代の祖型で、現行型とは別の時計で測ります。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 小豆・小麦粉・葛はいずれも在来。砂糖は外来だが、日本への到来は825年(交易路)とされ、菓子としての羊羹が史料に現れる16世紀(『松屋会記』1542年の茶会の記事)よりはるかに早い=禅寺・茶席という上層の場ではすでに使えた。寒天は要らない。よって律速食材は無い。寒天が律速になるのは、それを使って煮詰め練り固める子(煉羊羹=現行の羊羹)の側である
- 調理技術ゲート
- 小豆の漉し餡に小麦粉や葛を混ぜ、蒸籠で蒸して固める。『和漢三才図会』(1712)は『煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸』とし、黒い色を出すには玉砂糖を用いるか鍋底の炭を入れると書く。『菓子話船橋』(1841)は赤小豆一升・唐雪白砂糖八百目・小麦御膳粉七十目・久助葛廿匁の割で、砂糖を煮詰めて小豆の漉し粉を練り合わせ、小麦粉と葛を混ぜて蒸籠で一時ほど蒸すとする。特別な設備も外来の材料も要らない
- 場ゲート
- 禅宗の点心として入り、室町期には茶席の菓子となった。『庭訓往来』(14世紀後半)は点心の品目として挙げ、『松屋会記』天文11年(1542)は茶席の菓子とする。近世には菓子屋の商品となり、『守貞漫稿』は三都で煉羊羹一棹 銀二匁に対し蒸羊羹一棹 銀一匁と、値の安い方の商品として売られていたことを記す
成立年代と食材入手ゲート
食材入手(825年・在地/到来)が律速=物理的な下限。成立年代の帯はそれ以降にある(場ゲートは年に乗らない構造ゲート)。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
検証メモ: 寒天を使う煉羊羹より前の、菓子としての羊羹の姿をまとめた行。『古事類苑』飲食部(NDL全文)の羊羹の条から、寒天以前の製法を書く3史料(和漢三才図会1712・守貞漫稿・菓子話船橋1841)の逐語を得た=要件は小豆・砂糖・小麦粉/葛と蒸籠で、寒天を要さない。守貞漫稿は古い製法を『今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』と同定し、煉羊羹(乾天を用いる)と値段まで別立てにする。成立を縛る条件は特に無い(砂糖の日本への到来825年は、菓子としての羊羹が史料に現れる16世紀よりはるかに早い)。2026年10月の検証: 『庭訓往来』の『砂糖羊羹』は、最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本では『砂糖羹』で、14世紀の本文にあったとまでは言えない(写本の異同は萩原義雄の翻字による。至徳3年写本の原本・影印は見ていない)。14世紀の羊羹について分かるのは点心の品名だけで、蒸し固めた菓子だったことは示されない。『日葡辞書』の語釈は並松2021の引く邦訳とパジェスの仏訳(1862-68)で確かめたが、1603年の原本は見ていない
起源説
定説
★主 菓子としての羊羹は、寒天を使う煉羊羹が現れるまで、小豆餡に小麦粉・葛を加えて蒸し固めた『蒸羊羹』だった B
寒天を使う煉羊羹が18世紀後期に現れるまで、菓子としての羊羹は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加え、蒸籠で蒸して固めたものだった。製法を書いた史料が3つの時代にわたって一致する。(1)『和漢三才図会』(1712)は『羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁…続きを読む
寒天を使う煉羊羹が18世紀後期に現れるまで、菓子としての羊羹は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加え、蒸籠で蒸して固めたものだった。製法を書いた史料が3つの時代にわたって一致する。(1)『和漢三才図会』(1712)は『羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸』=赤小豆を煮て皮を去り水を絞り、粉を麪粉と合わせ、砂糖の煎じ汁で湿らせて蒸す、と記し、黒い色を出すには玉砂糖を使うか鍋底の炭を入れるとし、竹の皮に包むとする。(2)『守貞漫稿』は『羊羹ノ古製 小豆一升 砂糖准之 小麦粉五勺 鍋墨少々加ヘユルク煉リ合セ、蒸籠ニ掛ケ、サマシテ後ニ細長ク四角ニ切ル 色黒シ』とし、続けて『古製ハ此ゴトク甚粗製也、今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也』=古い製法は粗いもので、いまの蒸羊羹の類であり、昔の『砂糖羊羹』がこれである、と古い羊羹と現行の蒸羊羹を同定する。(3)『菓子話船橋』(1841)は『蒸羊羹 赤小豆一升 唐雪白砂糖八百目 小麦御膳粉七十目 久助葛廿匁』と分量を挙げ、砂糖を煮詰めて小豆の漉し粉を練り合わせ、小麦粉と葛を混ぜて蒸籠で一時ほど蒸すと書く。すなわちこの形の要件は、小豆・砂糖・小麦粉/葛と蒸籠であって、寒天はいっさい要らない。並松信久(2021)も『煉羊羹以前の羊羹が蒸羊羹であった』とし、煉羊羹は『点心の系統である蒸羊羹とは異なっていた』とする。この形がいつ始まったかは決まらない。14世紀後半の『庭訓往来』(最古の年紀をもつ至徳3年=1386年の写本)に見えるのは、点心の品としての『羊羹』『笋羊羹』の名だけで、材料も作り方も書かれていない。並松は、日本に入った羊羹を、肉を使わない精進の見立て料理として汁をかけて食べたものとし、菓子になったのは戦国期から江戸初期とみる。茶席の菓子としては『松屋会記』天文11年(1542)の茶会の記事に『ヤウカン』が見え、『日葡辞書』(1603)は砂糖羊羹を豆と砂糖で作る甘い板菓子とする(並松はこの板菓子を蒸羊羹の平らな形とみる)。蒸すことを明記する史料は『和漢三才図会』(1712)からである。煉羊羹が現れたのちもこの形は併存した(『守貞漫稿』は煉羊羹一棹 銀二匁に対し蒸羊羹一棹 銀一匁と、値の違う別の商品として並べる)
- 言及 『庭訓往来』江戸前期写本(伝尊純法親王書・三次市立図書館蔵)十月状 翻刻=三次市立図書館「往来本」デジタルアーカイブ 重み5
- 支持 喜多村信節『嬉遊笑覧』巻十上 飲食「煉羊羹」「南蛮菓子」の条(文政13年=1830成立/1903年活字本・NDLデジタルコレクション PID992505 コマ263) 重み5
- 支持 喜多村信節『嬉遊笑覧』巻十上 飲食「点心」の条(文政13年=1830成立/1903年活字本・NDLデジタルコレクション PID992505 コマ253) 重み5
- 言及 Léon Pagès 訳『Dictionnaire japonais-français, traduit du Dictionnaire japonais-portugais composé par les missionnaires de la Compagnie de Jésus et imprimé en 1603, à Nangasaki』Paris: Benjamin Duprat, 1862-1868(Internet Archive bub_gb_2-RGAAAAcAAJ) 重み5
- 言及 千宗室ほか編・永島福太郎校註『茶道古典全集』第9巻 松屋会記(淡交新社 1957)国立国会図書館デジタルコレクション PID2466385 コマ13 重み5
- 支持 並松信久「和菓子の変遷と菓子屋の展開」『京都産業大学日本文化研究所紀要』第26号 pp.308-268(2021年3月)京都産業大学学術リポジトリ 重み4
- 支持 『古事類苑』飲食部四(飲食部九 菓子)「羊羹」の条(神宮司庁・1914年・NDLデジタルコレクション PID897866 コマ77-78)— 近世の羊羹の製法を諸書の逐語で並べる。コマ77=『和漢三才図会』(1712)「羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸…要色黑者用玉沙糖、或入鍋底炭…裹竹籜」/『菓子話船橋』(1841)「蒸羊羹 赤小豆一升 唐雪白砂糖八百目 小麥御膳粉七十目 久助葛廿匁…蒸籠の中へ布をしいて入れ、上を平にして一時程蒸すなり」/『嬉遊笑覧』「今の羊羹は昔の法に非ず」。コマ78=『守貞漫稿』「羊羹ノ古製 小豆一升 砂糖准之 小麥粉五勺 鍋墨少々加ヘユルク煉リ合セ、蒸籠ニ掛ケ…色黑シ」「古製ハ此ゴトク甚粗製也、今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也」「今製煉羊羹 赤小豆一升ヲ煑テ…乾天二本半ヲ煮テ漉之、煑詰製スヲ煉羊羹ト云」「煉羊羹一棹價銀二匁、浪華羹・蒸羊羹、各一棹價銀一匁、三都トモニ同價也」/『蜘蛛の糸巻』「寛政の始 大久保主水の菓子杜氏のはて、喜太郞といひし者、日本橋の新道の小家…煉羊羹といふ物を製しはじめけるに」 重み3
諸説併記
『羊羹』と『砂糖羊羹』の書き分けの解釈(『庭訓往来』の15世紀後半以降の写本と『日葡辞書』) C
『庭訓往来』十月状の点心の列は、写本によって品目が違う。最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本は『羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹』と書き、『砂糖羊羹』の形は無い。『羊羹』と『砂糖羊羹』を別々の品目として並べるのは、文明4年(1472)写本や山田俊雄蔵本、古版の『…続きを読む
『庭訓往来』十月状の点心の列は、写本によって品目が違う。最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本は『羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹』と書き、『砂糖羊羹』の形は無い。『羊羹』と『砂糖羊羹』を別々の品目として並べるのは、文明4年(1472)写本や山田俊雄蔵本、古版の『庭訓徃来註』、江戸期の写本・注釈書である(三次市立図書館蔵の江戸前期写本もこの形)。したがってこの書き分けは15世紀後半以降の本文の姿で、14世紀にさかのぼるとは言えない。この書き分けをどう読むかで、古い羊羹の姿が変わる。(1)砂糖の有無の別とみる読み。『嬉遊笑覧』(1830)は『〔庭訓〕に羊羹と沙糖羊羹と二種出たり、唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり』とし、『守貞漫稿』は小豆・砂糖・小麦粉を練って蒸した古い製法の羊羹を『古ノ砂糖羊羹也』とする。この読みでは、砂糖を入れない『羊羹』は別の品だったことになる。(2)甘味の種類の違いとみる読み。『日葡辞書』(1603)は羊羹を『豆に粗糖をまぜ、こねたもので作った食物』、砂糖羊羹を『豆と砂糖とで作る。甘い板菓子(羊羹)の一種』とする(パジェスの仏訳でも、羊羹は豆の練り物と糖蜜で作った食べ物、砂糖羊羹は豆と砂糖で作る菓子の切り身)。並松信久(2021)はこれを、砂糖を使うか粗糖(黒砂糖)を使うかの違いと読む。この読みでは1603年の羊羹にも甘味が入っていて、(1)の『羊羹には砂糖が入らない』という江戸後期の解釈とは合わない。ただし『日葡辞書』が示すのは17世紀初めの姿で、15世紀後半の写本がなぜ書き分けたのかまでは言えない。決着していない。留保: 写本の異同は萩原義雄の翻字(研究者個人のウェブページ)によるもので、至徳3年写本の原本・影印は見ていない。『日葡辞書』は1603年の原本を見ておらず、並松2021が引く邦訳とパジェスの仏訳(1862-68)で確かめた。江戸期の注釈書『庭訓徃來精注鈔』自身も、これらの品は『製方詳ならず』とし、名が同じでも古今で形が異なることがあろうと書く
- 言及 『庭訓往来』江戸前期写本(伝尊純法親王書・三次市立図書館蔵)十月状 翻刻=三次市立図書館「往来本」デジタルアーカイブ 重み5
- 支持 喜多村信節『嬉遊笑覧』巻十上 飲食「古き菓子ども」「沙糖饅頭」の条(文政13年=1830成立/1903年活字本・NDLデジタルコレクション PID992505 コマ252):「沙糖ハ〔下学集〕また〔林氏節用集〕に載たれば、その頃にハ異国よりわたりも多くなりしにや、されどさとうを用ひざる物多かり。〔庭訓〕に羊羹と沙糖羊羹と二種出たり、唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり」(NDL全文API fulltext-json/992505 で当該コマ全文を確認 2026-08-24。嘉祥の菓子・古い菓子の名目を列挙し、砂糖の渡来と『庭訓往来』の羊羹二種の書き分けを論じる箇所) 重み5
- 支持 Léon Pagès 訳『Dictionnaire japonais-français, traduit du Dictionnaire japonais-portugais composé par les missionnaires de la Compagnie de Jésus et imprimé en 1603, à Nangasaki』Paris: Benjamin Duprat, 1862-1868(Internet Archive bub_gb_2-RGAAAAcAAJ) 重み5
- 支持 並松信久「和菓子の変遷と菓子屋の展開」『京都産業大学日本文化研究所紀要』第26号 pp.308-268(2021年3月)京都産業大学学術リポジトリ 重み4
- 支持 『古事類苑』飲食部四(飲食部九 菓子)「羊羹」の条(神宮司庁・1914年・NDLデジタルコレクション PID897866 コマ77-78)— 近世の羊羹の製法を諸書の逐語で並べる。コマ77=『和漢三才図会』(1712)「羊羹造法、煮赤豆去皮絞水、用粉和麪粉、以沙糖煎汁洩之蒸…要色黑者用玉沙糖、或入鍋底炭…裹竹籜」/『菓子話船橋』(1841)「蒸羊羹 赤小豆一升 唐雪白砂糖八百目 小麥御膳粉七十目 久助葛廿匁…蒸籠の中へ布をしいて入れ、上を平にして一時程蒸すなり」/『嬉遊笑覧』「今の羊羹は昔の法に非ず」。コマ78=『守貞漫稿』「羊羹ノ古製 小豆一升 砂糖准之 小麥粉五勺 鍋墨少々加ヘユルク煉リ合セ、蒸籠ニ掛ケ…色黑シ」「古製ハ此ゴトク甚粗製也、今製ノ蒸羊羹ノ類ニテ、古ノ砂糖羊羹也」「今製煉羊羹 赤小豆一升ヲ煑テ…乾天二本半ヲ煮テ漉之、煑詰製スヲ煉羊羹ト云」「煉羊羹一棹價銀二匁、浪華羹・蒸羊羹、各一棹價銀一匁、三都トモニ同價也」/『蜘蛛の糸巻』「寛政の始 大久保主水の菓子杜氏のはて、喜太郞といひし者、日本橋の新道の小家…煉羊羹といふ物を製しはじめけるに」 重み3
- 支持 萩原義雄「ことばの溜め池」2005年1月(駒澤大学 萩原義雄研究室ウェブページ) 重み1
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-08-15 | None | —→— | — | 追加係 |
| 2026-08-20 | 支持 | —→B |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 寒天以前の羊羹は、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加えて蒸籠で蒸し固めた菓子である
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研磨係 |
| 2026-08-20 | 支持 | B→B |
近世の史料は、蒸して作る古い羊羹と寒天を用いる煉羊羹を、製法も値段も違う別の商品として区別している
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研磨係 |
| 2026-08-20 | 不明 | —→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 『庭訓往来』が『羊羹』と『砂糖羊羹』を別立てにしている理由は決まらない
|
研磨係 |
| 2026-08-24 | 支持 | B→B |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 『庭訓往来』と同系の点心の羹は、小豆のこし粉・小麦粉・砂糖を煉り合わせて蒸し固める製法だった。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ253は伊勢貞丈(安斎)の説として「鼈羹ハ摺立の山の芋一升に砂糖一斤、赤小豆のこし粉一升、小麦の粉五勺、煉合せ蒸て龜甲の形に切なり」と記す
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研磨係 |
| 2026-08-24 | 支持 | C→C |
『庭訓往来』が「羊羹」と「沙糖羊羹」を別立てにするのは砂糖の有無の別である、という読み(守貞漫稿と同じ側)を、『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ252も採る=「〔庭訓〕に羊羹と沙糖羊羹と二種出たり、唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり」
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研磨係 |
| 2026-08-24 | 支持 | B→B |
寒天を用いる煉羊羹が現れるのは18世紀末であり、それ以前の羊羹は煉羊羹ではない。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食コマ263は「茶の湯の口取に煉羊羹うばたまなどハ紅粉や志津磨始て製す、寛政の頃よりなり」と、煉羊羹の初製を寛政年間(1789-1801)に置く
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研磨係 |
| 2026-09-06 | 支持 | B→B |
寒天以前の蒸羊羹の製法根拠となる古事類苑の逐語は、飲食部四 コマ77-78の羊羹の条に在る
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研磨係 |
| 2026-10-02 | 反証 | C→C |
『庭訓往来』が『羊羹』と『砂糖羊羹』を別々の品目として並べるのは15世紀後半以降の写本の形で、14世紀の本文にあったとは言えない。最古の年紀をもつ至徳3年(1386)写本は該当の位置を「砂糖羹」と書き、「砂糖羊羹」の形は文明4年(1472)写本・山田俊雄蔵本・古版『庭訓徃来註』・江戸期の注釈書に見える。経覚筆本は単独の「羊羹」も「砂糖羊羹」も欠き、建部伝内本は「笋羊羹」の次を「砂糖」「饅頭」と続ける。「羊羹」「笋羊羹」は至徳3年写本にもある
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研磨係 |
| 2026-10-02 | 支持 | C→C |
『日葡辞書』(1603)は羊羹を食べ物、砂糖羊羹を菓子と書き分け、羊羹にも甘味(糖蜜=粗糖)が入るとする。パジェスの仏訳 p.909 に「Yôcan. Mets fait de pâte de haricots et de mélasse.」(豆の練り物と糖蜜で作った食べ物)、p.700-702 の範囲に「Satô yôcan. Tranches d'un gâteau que l'on fait avec des haricots et du sucre.」(豆と砂糖で作る菓子の切り身)とある。『嬉遊笑覧』の「唯羊羹ハ沙糖ハ入らざるなり」という読みは、1603年の羊羹については合わない
|
研磨係 |
| 2026-10-02 | 不明 | C→C |
15世紀後半以降の『庭訓往来』の写本と『日葡辞書』(1603)が『羊羹』と『砂糖羊羹』を書き分ける理由は決まらない。砂糖の有無の別とみる江戸後期の読み(嬉遊笑覧・守貞漫稿)と、砂糖か粗糖かの違いとみる読み(日葡辞書の語釈・並松2021)が並び、1603年の語釈は後者に合うが、15世紀後半の写本がなぜ書き分けたのかを示す史料は無い
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研磨係 |
| 2026-10-02 | 支持 | B→B |
菓子としての羊羹は、寒天を使う煉羊羹が現れるまで、小豆の漉し餡に小麦粉や葛を加えて蒸籠で蒸し固めたものだった。ただしこの形が14世紀にさかのぼるとは言えない。14世紀後半の『庭訓往来』に見えるのは点心の品名だけで、並松2021は日本に入った羊羹を汁をかけて食べる精進の見立て料理とし、菓子化を戦国期・江戸初期に置く
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研磨係 |
| 2026-10-02 | 支持 | B→B |
18世紀には、点心の羹の名を負った菓子が、小豆のこし粉・小麦粉・砂糖を煉り合わせて蒸す製法で作られていた。『嬉遊笑覧』巻十上 飲食は伊勢貞丈(安斎)の説として鼈羹の製法をこう記す。これは18世紀の説明で、『庭訓往来』の頃の羹の作り方を示すものではない
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研磨係 |
| 2026-10-02 | 支持 | C→C |
寒天以前の蒸羊羹が存在したことを示す最も早い史料は、砂糖羊羹を豆と砂糖で作る甘い板菓子とする『日葡辞書』(1603)で、成立の上限を1603年に置く。14世紀の『庭訓往来』は羊羹の名を示すだけで、蒸し固めた菓子だったことを示さない。1542年の『松屋会記』の茶会の記事は羊羹を茶席の菓子として出すが、形は書かない
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研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。