食材から辿る / その他・調査中

ココナッツミルク 素材 時期 C検証済

成立年代 〜1355

ココナッツミルクが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

ココヤシの実の果肉を削って水に浸し、白い乳状の液をとる加工。ココヤシの栽培化は島嶼東南アジアと南インド・スリランカ周辺で別々に起きたとされるが、その年代も、果肉から乳をとる技がいつどこで始まったかも分かっていない。文献では、14世紀前半にアラビア南岸のズファールを訪れたイブン・バットゥータが、家ごとに果肉を掻き出して水に浸し、乳の色と味の液を作ってパンと食べると記しており(旅行記の口述は1355年に完了)、遅くともこのころには作られていた。文献の初出は始まりの年ではない

3ゲート

食材入手ゲート
ココヤシ栽培(島嶼東南アジア/メラネシア原産・数千年前)
調理技術ゲート
果肉の摩り下ろし・加水搾汁
場ゲート
東南アジアの家庭食(食材入手と同年)

ココナッツミルクはどこから広がったか

ココナッツミルクは、実を割れば出てくるものではない。割ったときに流れ出る透明な液は果汁のほうで、料理に使う白く濃い液は、内側にへばりついた固い胚乳を削り取り、水を加えて揉み、布で絞ってはじめて得られる。動物の乳のように搾るのではなく、果肉からつくり出す乳である。だからこの素材は、ヤシの木がある場所ではなく、その手仕事がある場所に存在する。

原料になるココヤシは、島嶼部の東南アジアからメラネシアにかけての熱帯を故郷とし、数千年前から人とともにある。実そのものはインド洋と太平洋の島々に早くから行き渡っていた。けれども、削って絞るという工程がいつ始まったのかは分かっていない。

削り台のある台所

その手仕事を書きとめた古い記録に、14世紀のイブン・バットゥータの旅行記がある。アラビア南岸のズファールでは、どの家にも椅子のような台があり、女がそこに腰かけて、先に鉄を付けた棒で実の中身を掻き出す。それを水に浸すと白くなり、新鮮な乳の味がする。人々はふつう、これをパンといっしょに食べる、と彼は書いた。旅の話を語り終えたのは1355年で、遅くともこのころには、アラビアの海辺の家々でこの乳が作られていた。

東南アジアの島々でも、この加工は暮らしの一部として据わっている。マレー半島やスマトラ、ジャワの台所では、削ったココナッツから取った濃い乳が、煮ものにも菓子にも使われてきた。16世紀のマラッカでは、ココナッツミルクと卵と砂糖を長く煮つめた甘い練りもの——のちにスリカヤ、カヤと呼ばれるもの——が作られ、ポルトガル人を通じて西へ伝わっている。

太平洋の側では、ハワイに住みついた人々(250〜450年ごろ)が、カヌーでココヤシを運んでいる。削った実から取った乳を島の葛粉(ピア)でとろめかせた菓子ハウピアは、19世紀のハワイ語辞書に「葛とココナッツの乳を混ぜて焼いた食べもの」として載っている。

大西洋を渡ったヤシ

新大陸へは、ヤシそのものが人の手で運ばれた。ブラジルには1553年、ポルトガル人がインドからカーボベルデ島を経由してサルバドール港へ実を持ち込んだと伝えられる。バイーアの海岸に植えられたヤシはそこから北東部一帯へ広がり、この地方はブラジルでもココナッツを日常に使う土地になった。ヤシが根づけば、削って絞る手つきもそこに根づく。

削り、揉み、絞る。このひと続きの手つきが働くところで、硬い実は料理の素材になる。

各地への伝来 3

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 400頃 ハワイ 在来
  • 1553〜1587頃 ブラジル 植民地交易在地栽培
  • 時期不明 マレーシア 在来

ココナッツミルクの到来が成立を縛った料理 2

ココナッツミルクが届く前には成り立たなかった料理です。到来年が、その料理の物理的な下限になります。

  • ハウピア ハワイ400年ごろ
  • モケカ ブラジル・バイーア州サルバドール1600年ごろ

ココナッツミルクを使う料理 23

成立年不明 8

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

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