オーストラリアン・ミートパイ 時期 B起源説 C検証済
確度は2軸: 時期=成立時期の固さ/起源説=発祥譚(説)の固さ(A〜Dの4段階・別々に持つ)。確度とは?→
暴かれた通説あり出典で反証された通説を抱える料理です(真の起源は未確定のことが多い)。
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オーストラリアで片手に持って食べる、牛肉とグレイビーのパイ。英国のパイが1788年の入植とともに渡り、町のパイ売りや鉄道の軽食堂を通じて広まっていったが、誰がいつ今の形にしたのかを示す記録は見つかっていない。
検証ハイライト 俗説 → 判定 → 根拠
- 主な説
- 英国のパイが1788年の入植とともに持ち込まれ(同年5〜6月にカンガルー・山羊のパイ、6月4日の国王誕生日の会食にパイ)、19世紀前半には町の街…
- 判定
- 諸説あり(対立説を併記)
- 主な根拠
- 支持George B. Worgan, Journal of a First Fleet Surgeon (1788)(Project Gutenberg Australia eBook 0400181.txt の全文)重み5 支持J. T. Bigge, Report of the Commissioner of Inquiry on the State of Agriculture and Trade in the Colony of New South Wales (London: House of Commons, 1823)(Project Gutenberg Australia eBook 1300241h.html の全文)重み5
史料が示すこと: パイは1788年の入植の年からシドニーで作られ、食べられていた。最初の入植船団の外科医ワーガンの日誌には、5月14日のカンガルーのパイ、6月2日に婚礼の食事のため山羊の肉で作ったパイ、6月4日の国王誕生日の会食に並んだパイが出てくる。19世紀初めには町の通りでパイ売りが声を上げていた。「フライング・パイマン」と呼ばれた先代のパイ売りは1839年に没しており、同じ呼び名で名物になったウィリアム・フランシス・キングが歩く距離や速さを見せ物にする興行を始めたのは1842年である。1850年代半ばからは、パイは鉄道の軽食堂の定番になった。どの資料も発明した人物や年を示しておらず、牛肉とグレイビーの今の形がいつ定まったのかを示す同時代の資料も見つかっていない。 なお「オーストラリアのミートパイは、1850年代のゴールドラッシュのときに発明された、…」という通説は一次史料・学術文献で退けられている。
3ゲート
- 食材入手ゲート
- 牛肉・小麦は英系入植で在地化。在来牧畜由来
- 調理技術ゲート
- 練りパイ生地で具を包み焼く製パイ技法
- 場ゲート
- 労働者の屋台・パブ・スポーツ観戦の手持ち軽食
成立年代と成立ゲート
食材入手と調理技術の各ゲートを同じ時間軸に並べた(流通は独立ゲートでなく食材入手の経路として内包し、場ゲートは年に乗らない構造ゲートなので図には出さない)。最も遅い食材入手ゲート(1788年・在地/到来・牛肉)が律速=成立の物理的な下限で、太線で示す。それより早い要因はその時点で既に充足していた(細線)。成立年代の帯は律速以降にある。
- 食材入手(流通/在地/加工の経路を内包)
- 太線=律速(最も遅い=成立を縛る)
- 細線=既に充足
- 場ゲートは年に乗らない構造ゲート(図外)
検証メモ: 英国のパイは1788年の入植とともに持ち込まれた。最初の船団の外科医ワーガンの日誌には、同年5月14日のカンガルーのパイ、6月2日に婚礼の食事用に作られた山羊のパイ、6月4日の国王誕生日の会食に並んだパイ(中身は書かれていない)が出てくる。牛は1788年1月にケープの牛(雌4頭・雄2頭)が上陸し、6月初めに逃げ、1795年にネピアン川の向こうで100頭を超える群れとして見つかった。1820年の届出では角牛は54,103頭(報告者ビッグ自身は届出の正確さを疑っている)。19世紀前半には町でパイ売りが声を上げており、1840年代には『フライング・パイマン』ことウィリアム・フランシス・キングが名物になった(先代の同名のパイ売りは1839年に没)。1850年代半ばからは鉄道の軽食堂の定番となり、南オーストラリアでは1890年代ごろにパイ・フローターが現れた。1891年創業のサージェンツ、1940年代半ばにベンディゴで売り出されたフォーン・トゥエンティ(年は資料により1945年と1947年)を経て、2003年にはニューサウスウェールズ州首相ボブ・カーが『国民食』と呼んだ。牛肉とグレイビーの今の形がいつ定まったかを示す同時代の資料は見つかっておらず、特定の発祥者・発明年は示せない。
起源説
定説
英ミートパイの入植由来・漸進的定着説 B
英国のパイが1788年の入植とともに持ち込まれ(同年5〜6月にカンガルー・山羊のパイ、6月4日の国王誕生日の会食にパイ)、19世紀前半には町の街頭で売られ、1850年代半ばから鉄道の軽食堂の定番になった。1891年創業のサージェンツなどの商業ベーカリー、1940年代半ばにベンディゴで売り出されたフォーン・トゥエンティを経て、2003年にはニューサウスウェールズ州首相が『国民食』と呼んだ。牛肉とグレイビーの今の形がいつ定まったかを示す同時代の資料は見つかっていない
- 支持 George B. Worgan, Journal of a First Fleet Surgeon (1788)(Project Gutenberg Australia eBook 0400181.txt の全文) 重み5
- 支持 J. T. Bigge, Report of the Commissioner of Inquiry on the State of Agriculture and Trade in the Colony of New South Wales (London: House of Commons, 1823)(Project Gutenberg Australia eBook 1300241h.html の全文) 重み5
- 支持 Biography - William Francis King (Flying pieman) - Australian Dictionary of Biography 重み3
- 支持 The great Australian pie - Australian food history timeline 重み3
- 支持 First Fleet Cattle - First Fleet Fellowship Victoria 重み3
- 支持 Exploring the history of the meat pie - Baking Business AU 重み2
- 支持 Media Watch, 'Sausage roll policy', ABC TV, 10 March 2003(Wayback Machine 2003-04-03 の保存版) 重み2
- 支持 Meat pie (Australia and New Zealand) - Wikipedia 重み1
通説を否定したが起源不明
1850年代ゴールドラッシュで豪ミートパイが発明されたとする説 C
豪ミートパイは1850年代のゴールドラッシュで発明された、とする見方。パイは1788年の入植初年からシドニーで作られ(ワーガンの日誌)、19世紀前半には街頭で売られていた(年表サイト・オーストラリア人名事典)ので、1850年代の発明という形は成り立たない。ただし、この見方そのものを書いた資料は、紐付いた出典のどれにも見つかっていない。牛肉とグレイビーの今の形がいつ定まったかを示す同時代の資料も無く、特定の発祥者・発明年は示せない
解説
オーストラリアン・ミートパイは、パイ生地で牛肉とグレイビーを包んで焼いた、手のひらほどの軽食である。屋台やパブ、スポーツ観戦の席で片手にひとつ、という光景がこの国の日常になっている。
パイは入植とともに海を渡ってきた。最初の入植船団に外科医として乗っていたジョージ・ワーガンの1788年の日誌には、5月14日に食べた冷えたカンガルーのパイ、6月2日に婚礼の食事のため死んだ山羊の肉で作ったパイ、6月4日の国王誕生日の会食に並んだパイ(中身は書かれていない)が出てくる。具を生地で包んで焼く技は、英国から人と一緒に運ばれてきたものだった。
中身の牛も、同じ船団が連れてきた。1788年1月に牛(雌4頭・雄2頭)が上陸し、6月初めに逃げ出す。1795年、ネピアン川の向こうで、合わせて百頭を超える牛の群れが見つかった。1823年に英国下院から出た植民地調査委員ビッグの報告では、ニューサウスウェールズの角牛は1810年から1820年のあいだに5倍に増え、1820年の届出で54,103頭とされている。ただしビッグ自身は、この届出の正確さを疑っている。数の確かさはともかく、1820年ごろには牛肉が植民地で手に入りやすい肉になっていた。小麦も入植とともに持ち込まれ、土地で育てられるようになった。
パイはその後、町の暮らしに入り込んでいく。19世紀初めには町々の通りにパイ売りの呼び声が響き、1850年代半ばからは鉄道の軽食堂の定番になった。南オーストラリアでは1890年代ごろにパイ・フローターと呼ばれる食べ方が現れる。1891年にはベーカリーのサージェンツが創業し、1940年代半ばにはベンディゴでパイの銘柄フォーン・トゥエンティが売り出された。2003年には、ニューサウスウェールズ州首相ボブ・カーが州議会選挙の運動中、自分の選挙区のパイ店に記者を集めて、これを「国民食」と呼んでいる。
検証ストーリー
1850年代のゴールドラッシュのときにこのパイが発明された、とする見方がある。ただ、この見方を誰が最初に書いたのか、どこでどれほど語られてきたのかは、はっきりしない。そしてシドニーの通りでは、ゴールドラッシュの始まる1851年より前から、パイが売り歩かれていた。
当時のシドニーには「フライング・パイマン」と呼ばれたパイ売りがいた。早くにその名で呼ばれたナサニエル・マカロックは、1839年5月に没している。のちに同じ呼び名で名物になったのが、派手に着飾って歩くパイ売りのウィリアム・フランシス・キング(1807-1873)である。パイを売り始めた年ははっきりしないが、歩く距離や速さを見せ物にする彼の興行は1842年に始まり、1851年1月ごろまで続いた。金鉱へ人が押し寄せる前から、パイはこの町の通りの食べ物だった。
では、誰がいつ「オーストラリアン・ミートパイ」を作り出したのか。入植の年の日誌から、町のパイ売り、鉄道の軽食堂、ベーカリーの創業まで、パイの記録はとぎれずに続くが、そのどこにも発明した人物や年は書かれていない。牛肉とグレイビーを詰めた今の形がいつ定まったのかを示す同時代の記録も、まだ見つかっていない。
記録からたどれるのは、英国から運ばれたパイが1788年からこの土地で作られ、売られ、食べられ続けるうちに、オーストラリアの食べ物になっていった道筋である。
検証ログ 追記専用の監査証跡
| 日付 | 結果 | 確度 | 主張 / 出典 | 更新者 |
|---|---|---|---|---|
| 2026-06-27 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 英パイが入植由来・ゴールドラッシュで普及し19C後半に豪固有形が定着
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研磨係 |
| 2026-06-29 | 支持 | B→B |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 牛肉の在地供給: First Fleet 1788に牛到来、1795 Cowpastures野生群再発見、1800年1044頭・1820年50,000頭へ拡大し食用牛が在地豊富化。律速食材=牛肉の在地化を物証で確認
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研磨係 |
| 2026-06-29 | 支持 | B→B |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) ミートパイ街頭販売は1850年代ゴールドラッシュより前に既に確立: 'Flying Pieman' William Francis King(1807-1873)が1834頃よりシドニー(Hyde Park/Circular Quay)でパイ行商、1842-1851に有名。豪のパイ携帯食文化はゴールドラッシュ(1851)以前から定着していた
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研磨係 |
| 2026-06-29 | 支持 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 豪ミートパイには特定可能な発祥者・発明年は存在しない(英国パイの漸進的進化)。'1850年代ゴールドラッシュ発祥'という単一起点の俗説的理解を退ける: パイ自体は1788入植時から、街頭携帯食は1830-40年代から(Flying Pieman)、牛肉グレイビー固有形は19C後半に漸進的成立。よって発祥は俗説を退けた上でopen
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研磨係 |
| 2026-07-03 | 支持 | B→B |
豪州入植地でのパイ製造の初出年=1788年。First Fleet外科医George Worganの日記(2 June 1788)に、死んだ雌ヤギの肉で婚礼用に'made a Pie of some part'と記録。英パイ製法が入植初年に既に持ち込まれていた一次史料上の下限
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研磨係 |
| 2026-07-03 | 反証 | C→C |
🚫 この記述は後の検証で訂正された(→ 該当行へ) 俗説『豪ミートパイは1850年代ゴールドラッシュで発明/誕生した』を反証。パイ製造は入植初年1788年から一次史料(Worgan日記)で確認でき、街頭携帯食は1830-40年代(Flying Pieman)から。ゴールドラッシュは発明でなく普及の一契機にすぎず、単一発明起点は成立しない
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研磨係 |
| 2026-10-11 | 支持 | B→B |
1788年のシドニーでパイは作られ食べられていた。6月4日の国王誕生日の総督の会食にパイが並んだが中身は書かれていない。同じ日誌にはそれより前の5月14日にカンガルーのパイ、6月2日に山羊のパイがあり、誕生日のパイは日誌に出る最初のパイではない
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研磨係 |
| 2026-10-11 | 支持 | B→B |
牛肉は1820年までにニューサウスウェールズで大量に得られるようになっていた。1820年の届出で角牛は54,103頭、1810〜1820年で5倍になった(報告者ビッグ自身は届出の正確さを疑っている)
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研磨係 |
| 2026-10-11 | 支持 | C→C |
パイの街頭売りはゴールドラッシュ(1851年)より前からシドニーにあった。先代の『フライング・パイマン』ナサニエル・マカロックは1839年5月に没し、キングの徒歩の興行は1842年に始まり1851年1月ごろまで続いた。キングがいつからパイを売り始めたか、どこで売ったかは ADB に書かれていない
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研磨係 |
| 2026-10-11 | 支持 | C→C |
年表サイトは、1788年6月の国王誕生日の会食のパイ、19世紀初めの町のパイ売り、1840年代のキング、1850年代半ばからの鉄道の軽食堂、1890年代ごろのパイ・フローター、1891年のサージェンツ、1945年のフォーン・トゥエンティと、途切れない流れとして書く。ゴールドラッシュにも『発明者がいない』という議論にも触れていない
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研磨係 |
| 2026-10-11 | 支持 | B→B |
Baking Business の記事は、英国の入植者が18世紀にパイを持ち込んだと伝聞の形で書くだけで、ゴールドラッシュにも、19世紀後半に牛肉とグレイビーの形が定まったことにも触れていない
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研磨係 |
| 2026-10-11 | 支持 | B→B |
2003年にミートパイを『national dish』と呼んだのは連邦の首相ではなく、ニューサウスウェールズ州首相ボブ・カーで、州議会選挙の運動中にパイ店で記者に向けて言ったもの
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研磨係 |
| 2026-10-11 | 不明 | C→C |
『1850年代のゴールドラッシュで豪ミートパイが発明された』という見方を書いた資料を、紐付いた出典(英語版ウィキペディア・Baking Business・ADB・年表サイト)のどれにも見つけられない |
研磨係 |
構成素材
この料理を構成する素材の成立史へ。「成立史は準備中」の素材はまだページがありません。
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