食材から辿る / 在来

バター 素材 時期 C検証済

原産地 近東 ・ 成立年代 前6500–前2350

バターが、いつ・どこで食べ物として成立し、各地へどう伝わったかをまとめています。 原産地での成立を3ゲート(食材入手・調理技術・場)で示し、その後の各地への到来を記録でたどります。

近東で、家畜の乳を撹拌して乳脂肪を分けとる加工として成立。下限は乳利用の始まりで、アナトリア北西部などの土器に残った乳脂肪から、乳は前7千年紀(前6500年ごろ)には使われていた。南レバントの銅石器時代(前4500〜前3700年ごろ)には『バター撹拌器』と呼ばれる樽形の土器が現れるが、乳の加工に使われた直接の証拠はまだ無い。遅くとも前3千年紀中葉(初期王朝期)には、メソポタミア南部アル=ウバイドのニンフルサグ神殿の正面を飾った象嵌の帯に、牛の乳しぼりと並んで、発掘者がバター(澄ましバター)の調製と貯蔵と読む場面がある

3ゲート

食材入手ゲート
反芻家畜(牛/羊/ヤギ)の家畜化と搾乳(近東・前8500年~)
調理技術ゲート
乳の撹拌によるバター化(チャーニング)
場ゲート
遊牧・農村(食材入手と同年)

バターはどこから広がったか

バターは、乳を長く揺すり続けるだけでできる。乳のなかに散らばった脂肪の粒が、撹拌によって互いにぶつかり、寄り集まって塊になる。残った水気を切れば、それがバターである。革袋に乳を入れて振る、壺のなかを棒で突く——道具は土地ごとに違っても、原理はどこでも同じだった。だから、この食べものには「発明された場所」を一点に指し示すことが難しい。乳の出る家畜を飼う人々がいれば、そこで別々に生まれても不思議のない加工品である。

その前提になる搾乳が始まったのは、近東だった。ウシ・ヒツジ・ヤギが飼い慣らされたのは紀元前9千年紀の西アジアで、その乳を人が使っていた最も古い痕跡は、北西アナトリアの新石器時代の土器に残っている。土器の壁に染み込んだ乳の脂肪を化学分析した研究(エヴァシェッドらの2008年の報告)は、紀元前6500年ごろの近東と南東ヨーロッパで乳加工が営まれていたことを明らかにした。地中海東岸のレバント一帯でも、同じころの土器から乳の脂肪が検出されている。

絞りきれない始まり

もっとも、土器に残る脂の跡は、それがバターだったのかチーズだったのか、酸っぱく発酵させた飲みものだったのかまでは教えてくれない。乳が使われていたのは紀元前7千年紀にさかのぼるが、そのうちどこからがバターかは、土器の脂からは分からない。南レバントの銅石器時代(紀元前4500〜前3700年ごろ)には「バター撹拌器」と呼ばれる樽形の土器が現れる。ただ、この名前は形から付けられたもので、乳の加工に使われたことを直接示すものはまだ無い。

はっきりした姿が現れるのは、紀元前3千年紀の中ごろである。メソポタミア南部アル=ウバイドで、ニンフルサグの神殿の正面を飾っていた象嵌の帯には、牛の乳しぼりと並んで、乳を漉して甕に貯える場面がある。1927年に報告をまとめた発掘者のホールとウーリーは、これを澄ましバター(サムン)をこしらえて貯える様子と読んだ。サムンは、報告が書かれたころのイラクでも、牧畜民のいちばんの産物だった。

家畜とともに北と西へ

近東で始まった牧畜は、麦や豆とひとそろいになってヨーロッパへ運ばれた。フランスの地に牛や羊が入り、乳を利用する暮らしが根づいたのは紀元前5000年ごろのことである。夏に草を食んだ家畜の乳を、脂の塊にして貯えておく——牧草の豊かな北ヨーロッパで、バターは台所の脂として使われ続けた。

大陸を越えるのは、家畜が船に積まれてからである。カナダのフランス系の入植地では、18世紀後半には乳牛の飼育とともにバターが日常の食材になっていた。撹拌という単純な動作から生まれるこの脂は、家畜が渡った先ではどこでも、ほどなく作られるようになったのである。

各地への伝来 4

各地で食べ物として定着した時期の記録です。地域によっては、それに先立つ物理的な到来(観賞用など、食用より前の前史)が含まれることがあります。

  • 前6500〜前4500頃 アナトリア 在来加工
  • 前6500〜前4500頃 レバント 在来
  • 前5500〜前5000頃 フランス 在来加工
  • 1750〜1820頃 カナダ 植民地交易

バターを使う料理 125

成立年不明 22

成立の下限(いつ以降か)が史料から決まらない料理。年代順には置けないのでここへ分けた ── いちばん古いという意味ではない。 「遅くとも◯年までに」はその年までに存在したことが押さえられているという意味で、その年に成立したという意味ではない。

← ほかの食材を見る